第14号 三たび肱を折って良医となる

s_201210-e1619585552970
積極的に折りたい訳ではありませんが、折らないと分からないこともある。
三度も自分の肱を折って、その痛さを自分の心に刻みつけ、そうしてやっと良医になるといった意味のことわざです。自ら痛みや苦しみを経験しなければ、患者の心はつかめません。名医となるためには、そういった経験が必要であるものなのでしょう。また、苦労し経験を積まないと、人間は大成しないという意味としても使われます。出展は春秋左氏伝。

「よ~し。肘を折るぞ!」と言って折る人はいません。
ひょっとしたら(?)そういう変わった人もいるかもしれませんが、普通は考えられません。自ら進んで肘を折る、自らわざと肘を折る・・・考えられません。
三たび「肘を折る」とされていますが、仕事であれ日常生活の 何かであれ、三度も「貴重な経験をすること」というのは、ある程度一定の期間、そのことに従事していないとできません。失敗経験というのは何かを実践している人、何かに挑戦している人でなければ経験することが出来ないものです。「実践をしていない人」「挑戦をしていない人」には絶対に経験することができません。肘を折る経験も出来ないのです。

「石の上にも三年」という言葉もありますが、特定分野において大体3回くらい肘を折る時間軸というのが3年くらいなのかな?と感じることもあります。難しいのは「肘を折ることが怖い」という気持ちが先行してしまうということです。
肘を折ることというのは、一般的に考えて「失敗」とか「痛み」「つらいこと」であるといえます。誰だって出来れば避けたいものです。確実に成功だけを引き寄せたい。私だってそう願っています。しかし、ものごとが成功するスパイスのようなものというのは、肘を折ったときの経験に起因することが、大きかったりするから不思議です。肘を折って大変な思いをして、そこで大いに反省をしたり、改善点を模索したりしながら、次の一手を考えてまたそれを実践する。その繰り返しをすることでしか、成功の精度を高めていくことは 出来ないのではないのだろうかと感じています。
私は創業当初、●●をやってお客様を増やす。とか、△△をやれば上手く行く、といった顧問先拡大を進めていた時期がありました。「前の事務所で経験したことをやればお客様が増える!」と単純に考えていたのです。しかし、それは間違いでした。「もっと現場を見なければいけなかった」のです。
所長先生や職員さんの現場、即ち会計事務所自体の現場にもっと目を向ける必要があったのです。 そういうことに気が付くことが出来たのは肘を折る経験、即ち顧問先拡大を実践する中で「同じことをやっても上手く行かないケースがある」という経験を何度もしたからです。また、そういった現場そのものに目を向けることで、●●をやること、△△をやること自体が、そんなに大切なことではないということに気が付くことができました。

本当に大切なことは実際に日常の現場で使われている「言葉」に隠されているものです。一例を挙げると、「拡大をしたい」という前向きな言葉(気持ち)があったと仮定します。しかし、言葉通りに受け取っても、正しい解釈が出来るとは限りません。ここが重要なポイントです。例えば「拡大をしたい」にも色々あります。「規模を拡大したい」「より良い生活をしたい」「従業員の給与を増やしたい」「お客様を繁栄させたい」など様々だと思います。実は、そういった真の言葉に耳を傾けて、●●や△△を実践しなければいけません。私も「真の言葉」を常に傾聴できるよう、精進せねばなりません。

合資会社オオタキカク 代表 太田亮児
ニュースレター_note