第21号 呼吸をするだけでも重心は動く

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古流柔術の繊細さは左右に動く針の穴に糸を通すようなもの。
学生時代に古流柔術の皆伝師範の先生に教えをうける機会がありました。武道や武術では体術についての説明を受ける際、相手の重心を崩すことの重要性を教わります。
「ほら、呼吸したら崩れるでしょ?」と教えていただき、何度も何度も練習をしましたが、この先生が教えてくださることはあまりにも繊細すぎて、教わったから直ぐにできるといったようなものではありませんでした。

見た目の部分にしか意識が行かないと一生分からない。
道場に集まった5、6人の大人が、相手の腕をつかんだり、引っ張ったり、ひねったり。腕をつかまれた方がそれに応じて相手を崩して倒す。という一見何をやっているのか分からないようなことを、延々と繰り返し行い、お互いに何かを確認し合っている。それが私が学生の頃に教えをうけていた古流柔術の道場での光景でした。「道場」というともっとビシバシと投げ合ったり、叩き合ったりなどの激しい稽古をイメージするかもしれませんが、私が通っていた道場はそういう意味ではとても地味でした。人と人とがお互いに向き合って、自分と向き合っている人の肩に手をのせて、ずっと動かない。そして、「崩れた」とか「今のはちょっと強い」とか「肘で詰まった」とか「膝が抜けていない」とか「背中から出すぎている」とか。お互いに感覚をフィードバックしあって、感覚を確かめあっているのです。
これは重心を崩す訓練です。
達人の技術というのはあまりにも繊細で、ちょっとやそっと練習をしたくらいでは身に付きません。達人の先生曰く「ちょっと練習したくらいでできるようなものは、技とは言わないんだよね」だそうです。
重い荷物を持ち上げる際、ちょっと斜めにしてから持ち上げたりすることがあるかと思います。力学的に説明することが私にはできませんが、体感的に持ちやすく軽くなったように感じます。人間の体も同様で、動かして倒すということで考えると、ちょっと崩す必要があります。この「ちょっと崩す」というのを、達人級になると凡人では想像できないような繊細なことをやっているの
です。
例えば「呼吸をする」「かかとからつま先に重心を移動する」等、目で見ても絶対に分からないことを瞬間的に、しかもそれを複数同時に行います。すると倒される方は訳も分からず崩れ、倒される。というわけなのです。受けた方(倒される方)は何をされたのかさっぱりわかりません。いつの間にか重心が崩されいつの間にか倒されているのです。関節の逆を取って痛みを加えて倒すというものではなく、相手に何をしているのか悟られないようにして、気が付いたら倒しているという状況を作っているのです。
その先生はよく私にこのように教えてくださいました。
「太田君は体が小さいから体の大きな人には絶対に敵わないでしょ?ドイツ人に思い切り腕をつかまれたら、下手したら腕折れちゃうよ。だってリンゴ握りつぶしちゃうような人たちなんだから。だから、技術が必要なんだよ。それも見たらばれてしまうようなものではダメ。相手に何が起きたのかを悟られないようなことをして、ばれないように崩して、いつの間にか倒さないといけないんだ」

この話、マーケティングで言うところのランチェスター戦略とか、ブルーオーシャン戦略の発想と同じだと思いませんか。力の強い人に力で対抗しようとしても勝てる道理がありません。ちょっと角度を変えたり、全く別の切り口から突いて行かないと力で劣ってしまう人は、力の強い人には勝てないのです。
一見何をやっているのか分からない。しかし目に見えない部分で物凄く繊細なことを緻密に、正確に行っている。そういった状況を創り出すことが出来れば、だれにもまねができません。

合資会社オオタキカク 代表 太田亮児
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