第17号 沈肩墜肘

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学生時代には太極拳などもやったりいたしました。
学生時代の話ですが、もともと体を動かすことが好きでしたので、4年間少林寺拳法をやりながら、古武術さらには太極拳などにも関心を持ち、学業そっちのけ(?)で没頭をしていた時期がありました。武道は武道で面白いですし、武術には武術の奥深さがありました。中でも太極拳には「含胸抜背」「尾閭中正」などといった怪しげな漢字四文字のコツがあり、それを学ぶのも楽しいものでした。
太極拳をやる場合の体の動かし方のルールといったようなものといえるでしょう。こういう習い事をしていると、教えを受ける生徒たちにも色々な人間がいることを知ります。「素直に学びたいという人」「特定の技術を習得したいというだけの人」「試してやろうという気持ちがある人」などです。

「肩を沈め肘を落とす」これについて疑問を挟む余地など1ミリも無い。
「ちんけんついちゅう」と読みます。両肩を落として下に沈め、技法上、腕をのばしたときに、つねにひじが下を向くようにするという太極拳の基本姿勢のことです。各動作を行う際のコツを表した標語のようなものです。他にもいくつかあるのですがこれが出来ていないと、いくら形だけ真似して似たようなことをやっても、正しい効果は得られないといったようなものです。太極拳を武術としてやる場合も、健康法としてやる場合も、しっかり守らないとだめですよ。といったものです。
もっと大きく分けますと、「素直な人」と「素直でない人」とに分かれます。例えば先生が、「沈肩墜肘しないとだめですよ~」と言った時に、「分かりました!」といってすぐに取り組める人と、「それは何故ですか?」といってすぐに取り組むことができない人とに分かれるのです。
当然のことですが、素直な人ほどグングン上達します。それは先生の言うことを聞いて、よくないところを指摘してもらい、指摘された改善すべきポイントを、改善することができるからです。しかし、素直でない人は先生に教えてもらえなくなります。指摘をしてもらえなくなるわけです。「言うことが聞けないのなら、勝手にしなさい」といって指摘さえしてもらえなくなるのです。
「沈肩墜肘」などと聞きなれないことを耳にしてしまうと、「なぜ?」とか「どうして?」となってしまいがちです。理屈を知りたかったり原理を知りたかったりするからです。しかし、「それを知らないと先生の言うことは聞けません」となると、これはいけません。さらに、別の理論と比較しようとしたり、その違いを先生に聞くような人も上達しません。例えば太極拳の先生に向かって、「〇〇では別のことを言っていましたけど?」とか「△△拳法ではそういうやり方はしていませんでした」などと言ってしまうような人はダメです。残念ながら上達の道は閉ざされてしまいます。
先生も人間ですから、はなから自分を信用しないようなことを言う人やそういう接し方をする人には、自分の技術を伝承しようとは思わないのです。そして先生に教えていただけない限り、その先生が持っている技術は体得できませんので上達もしません。
このことは専門性の高い税理士先生方のお仕事でも同じことが言えるかもしれません。また、マーケティングの世界であっても同様です。マーケティングの世界にも色々な流派と申しますか、手法や考え方があります。それらを実施する際に、「今回の手法は●●といったものとは何が違うのですか?」とか「▲▲の研修では別の手法を進めていたけれど?」などと言ってしまうようでは、武術の世界で言うところの「素直でない人」になってしまいます。
まずは素直にやってみる。これが習い事の基本だと私は思っています。「なぜなのか」「どうしてなのか」ということは、実際にやってみたら分かるもので、頭で理解するものではないからです。

合資会社オオタキカク 代表 太田亮児
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